皆さまこんにちは、中村啓太です。
自己紹介ページをご覧いただき、ありがとうございます。
初めましての方もいると思いますので、私の自己紹介をさせてください。
- 名前:けいた
- 趣味:サーフィンとバーベキュー
- 好きな食べ物:サムライマック・ステーキリベラ・鮨(木場谷)
私は、現在生命保険のお仕事をしています。
所属会社の取扱商品、保有・会員資格につきましては以下になります。
①生命保険会社24社
②損害保険保険会社11社
③証券会社3社
・ファイナンシャルプランニング技能士2級
・証券外務員1種
・MDRT会員 2021年、2022年、2023年、2024年
そしてAFP(アフィリエイテッド・ファイナンシャル・プランナー)として自身で作成した、オリジナル家計簿カイナルを使い、日々お客様のライフプランニングの相談に乗るお仕事をしています。(カイナル家計簿は無料提供しております)
この、お仕事(生命保険営業)を始める前のお話を少しさせてください。
私は、小学生〜高校生まで野球漬けの日々を送り、そこから現在までの15年はサーフィンを
趣味スポーツとして生きてきました。
まだまだ、33歳ですが、多くの挑戦と失敗はしてきたと思っております。
例えば、大学生の頃、2年生まで学校に通っていたのですが、海外旅行をきっかけに海外での生活と語学に興味を持ち、留学をしようと決意しました。
当時、大学の休学制度を使うには、かなりのお金がかかってしまうため、3年生に上がったタイミングで急遽大学を退学しました。
そして、海外の学校の学費を稼ぐために自動販売機にジュースをいれる仕事を始めたのです。
朝のAM3時に仕事をスタートして、夜のPM8時までで日当は1万円です。
貯蓄額、300万を目標にしていて、120連勤をしてそこから適度に休みをとりながら1年間で300万円を貯めました。
留学先に選んだ国はオーストラリアです。
理由は働く場所が多くあること、英語圏であること、そして何より、サーフィンのレベルが高いということです。
勢いよく海外に行って、英語を勉強してサーフィンをやっていたのですが、結論からいうと、日本では全く英語を使った仕事をせず、サーフィンに関しても自分はプロで食べて行くことは難しいと現実だけを見る結果になってしまいました、、、
あっという間に1年が過ぎ、英語の能力も中途半端、サーフィンも趣味レベルから脱却できず、日本に戻ってからは、まわりの友人たちが続々と社会人になっていく焦りと、自分は何しにオーストラリアにいったのだろうと悩む現実が待っていました。
もう一つ心残りだったのは大学を2年生まで行ってやめてしまったこと、何もかも中途半端な自分が嫌になり、大学の教授に電話をして学費を月額支払いに変更してもらい、パチンコ屋さんで学費を稼ぎながら大学を卒業しました。
大学の学食は常に一人です。
同級生は皆んな卒業していち早く社会に出てお仕事を始めていたからです。
一人ご飯を食べている時、その時に覚悟を決めました。
就職しようと、、、
就活は7社ほど受けて無事決まりました。
まさか自分が会社に勤めて働くなんて、、スーツ着て仕事する、、、
同期に大切な仲間ができて、仕事終わりには上司や取引先の人達と飲みに行ったりとそんな生活が待っているのかと、、
そんな、イメージを思い浮かべ、内心はワクワクしている自分がいました。
30代になり自分のことを分析し出したのですが、私は好奇心がとても強い、そして臆病者です。
20歳の時にいきなり大学に退学届を出して海外の学校に行くために1年間で300万円貯めたり、そして、臆病者だからこそ、自分に少しでも力をつけて、成長して自分と自分の大切な人達くらいは守っていけるように毎日努力を続けてきたつもりです。
今も継続しています。
そうして、スポーツしかやってこなかった私がユニフォームからスーツに変え、闘う場所を海から陸に移しました。
初めての会社は人材広告会社です。
求人を必要としている企業様に求人広告を販売して採用までお手伝いするというお仕事です。
営業に向いていたのか、配属先が良かったのか、成績は結構良くて会社で懸賞旅行に選ばれるくらいでした。
毎日スーツを着て、金曜日になったら友達と華金だと喜んで居酒屋に行く、飲む、食べる、友達と会社での出来事を話す、、
正直、社会に馴染んでいるのかとホッとしている自分がいました。
お給料も学生時代より安定的に入ってくるし、ボーナスだってある。
ただ、仕事を始めて、1年程たったあたりで働く場所が決まっている、エリア性の営業に物足りなさを感じてしまったのです。
会社の人も優しいし、職場の環境も良い。
ただ、私は企業だけではなく、もっと全国に自分を必要としてくれる個人のお客様、そして法人様とお仕事をしたいという感情が芽生えてきていたのです。
もう一度、お伝えしますと、私が今しているお仕事は生命保険のお仕事です。
このお仕事のきっかけは?
実家に戻った時に母親が保険証券を読めずに悩んでいたからです。
日本の会社の保険証券は少し複雑で読みにくいところがあります。
何か、使命感にかられるような特別なエピソードがあるわけでもなかったのです。
営業のお仕事を始めてから、生命保険会社の所長さんからやってみないかと誘われて挑戦してみようと思ったのが経緯です。
本当にこのお仕事の重要性や責任感というのは、仕事をスタートして保険金をお届けした際に、そしてお客様から今までの人生、これからの未来のライフプランを聞いていく上で実感をしてきました。
私にも33年の人生があります。
多くのお客様にも、企業様にも、今まで歩んできた人生があります。
そしてこれから先も続いていきます。
もしかしたら、今日が最後の一日かもしれないです。
一つ言えるのは皆んな生きている中で想いを持っているのです。
私が皆様に販売している商品はそんな想いや意志を不足な事態に陥ってもお金の部分の問題を解決していくこと、そして伝えていくことです。
私は機械ではないので契約時にお客様と話し合ったことを私が語り手として、万が一の際は受取人の方に言葉にしてお届けしていくことが付加価値だと感じています。
言葉や想いはこの時代を生きていく上でとても力になり、助けになることです。
私は時代が変わって現在がどんなに便利になっても人とネットのハイブリッドが大切だと思っています。
極端にどちらかに寄りすぎないように、調整し続けていく、それがバランスを取るということだと思います。
そんな、私もこの生命保険のお仕事、そしてファイナンシャルプランナーとして9年目を迎えました。
長く続けることでより信用、信頼していただけるとも思っています。
駆け出しの頃から私を担当として応援してくれる皆様、そして現在私を担当として選んでくれている皆様、今後FP最上位資格のCFPも取得していき、よりブランド力を高めて皆様に貢献できるように、精進していきます。
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